ふたたび 神無月のこと 
1日(木)2人残っているうちの1人の、静江叔母が亡くなった。今夜がお通夜なので、なにがなんでも行かないわけにはいかない。
午前中に整骨院にいって治療をして、体調を整えて、と思ったけれど、まだ始めて3回目とあっては一向に改善の兆しが見えない。
このところ、痛さを持て余しているうちに、旦那が亡くなって初めての月命日が過ぎてしまった。
とにかく歩くと腕が痛いという、生まれて初めての経験に戸惑っているこの一週間だった。
夕方自由が丘の駅で待ち合わせたミノ夫妻と鎌倉の斎場に出向いたけれど、タクシーに乗るほどの距離ではないので歩いて行ったら、着いた途端にねじれるような痛みが起きて、お経の間中腕を抱えていた。
旦那は最後の期間、まったく痛みを感じなくなって、ほんとうにラッキーだったけれど、その分はしっかりと私に残して行ってくれたということらしい。
当分はなにも働く気もないし、第一、出来る状態ではないのだ。まあ、神様がくださった、少々ハードなシチュエーションの休養期間だと思いましょ、と自分に言い聞かせている。
唯一助かったのは、このところしばしばやってくる雨のお蔭で、花のみずやりをしないで済んでいるということ。
2日(金)最近食欲不振で、1キロ痩せた。原因は痛み止めの飲みすぎによると判っているので、さてと考えて痛みどめを飲むのはやめることにした。
もうひとつはきっきりしたのが、旦那がずっと転がっていたリビングの寝椅子で体を伸ばしていると、痛みが治まるということ。人間の体って複雑だわねえ。歩くと陣痛のような痛みがはしるけれども、この際治療に専念しているので腕を持て余しながら、毎日とぼとぼと歩いていく。
途中で病院にお母様が入院していらした方に会ったので、「如何ですか?」と聞いたら、旦那より2週間早くに亡くなったということだった。お互いにお悔やみを言い合って、すれ違う。
夜になって従弟のヒロシ君から昨日のお悔やみのお礼の電話が掛かってきた。
延び延びになっていたイトコ会を早速やろうという。
どうやら暇になった(彼は現役だけれど)2人に世話役が回ってきそうだけれど、それもいいかな?と思った。
それにしてもこの夏は何人もの人を見送ることになった。
「……そして誰もいなくなった」という時が過ぎて、次の世代に交代するということ。
3日(土)ベッドの脇にずっとベルのセットが3つおいてある。これは旦那の末期に、用事があったら呼べるようにと、息子が買ってきたもので、私たち3人がそれぞれ駆けつけられるようにと、3セット買ってきたものの、これを使ったのは2回ぐらいだったと記憶している。大した金額ではないけれど、使わずじまいというのも勿体なく、何かに活用できないものかと考えている。手っ取り早いのは、私が息子と娘を呼び込むために使うことだけれども、そこまで自分を落とし込むことにはまだまだ躊躇がある。テレビを見ていたら、訪問先の家のベルに同じ形態のものが使われているのを目にした。玄関のインターホンがすこしばかりおぼつかないので、使ってみようかしら。
それにしても我が家にはまだまだ活用できていないものが多々ある。これが皆消えたらどんなにかすっきりするだろうな。
私にとっていま一番消えてほしいのが、腕の痛み。今日も一日時折やってくるこやつめを心の中で罵倒しながら、ぐうたらおばさんになり果てている。
今日は、きのうお悔やみ状を頂いたシホコさんにお礼の電話をしたら、彼女ったら、7月にチロルで足を骨折したそうな。シホコさんを紹介してくださった彼女のおじさまは旦那のお友達で、亡くなったことをお知らせしなければ、と思っていたのに、旦那より2か月早く突然逝かれたと聞いて、愕然とした。
4日(日)思いだして…、というより、やっとのことでハーちゃんとヒデコさんににお香典をお送りいただいたお礼の電話。
ヒデコさんは食道のポリープ手術で入院なさったとか。ハーちゃんに腕が痛いのよ、と話したら、これは今あちこちで聞く話で、治った人はいないとがっかりする話だった。
彼女の友人がかかっているお医者さん自体が、そうなんだと聞いた。これは神経痛以上に仲良く付き合わなければならなくなりそう。そういえば最近うれしいことに肋間神経痛も坐骨神経痛もご無沙汰だけれど、彼ら(?)もしつこく付きまとうのに飽きて、全権大使の役を頸椎に譲ったらしい。
私の性格を知り尽くしている人は皆、声をそろえてといった感じで、休め、休めという。

5日(月)季節はずれの大型台風が近づいているという。まったくもう!ユトリーバ再開の週だというのに。
今日も8時半過ぎに整骨院に行く。夜中に腕が痛むのは枕を変える必要がありそう。騙されたと思ってやってみて、と院長先生がおっしゃる。
お昼に帰ってきた息子が、印鑑証明のカードを出してという。もう15年以上使ったことがないけれど、と思いながらあるべき所を探すけれど、どこにもない。デイホームに行く時間すれすれまで探して、あきらめる。
3時頃から雨が激しくなったけれど、ノリコのところで車を出してもらって、区役所に行き、もう一度印鑑届をする羽目になった。
だいたい1時間もピアノを弾き語りして、負担が大きい日だったのに、今日はオーバーワークで夜になって、腕の痛みがぶり返し。やれんなあ。
トオルは6時半に、車で山形へ出張していった。明日の朝1番には山形にいなければならないので、車で行く、というけれどこれも心配の種。もうなにも考えないで早く寝ようっと。
6日(火)昨夜先生のおっしゃる通りに座布団の上にバスタオルを敷いて寝たら、痛みが半減した。
でも今日も歩くと痛い。
テレビのドラマを見ていたら、「神は克服できない試練は与えないんだ」と叫んでいる人がいて、今の私にとってはこれ以上の薬はない、と思った。早速整骨院の若い先生に話したら、「う〜ん、克服できない試練もありますよ」だって。
あと10年たったら、彼も考えが変わるかしらね。私が折角自分に言って聞かせていたのに、君はまだまだ人生経験が浅いぞ。
そういうときの応対の仕方も勉強してほしいものだわ。
夜になってレイコさんから明日のユトリーバにサンドイッチを買ってきてくださると電話があったので、有難くお受けする。
1ケ月抜けたので、明日が楽しみ。
7日(水)巨大な18号台風が本土に接近しつつあるというので、危惧したけれど、思ったより空模様が悪くならず、朝大急ぎで整骨院に治療に行く。
今日のユトリーバは8人のお客様。
久しぶりに家の中に花が咲いたようだった。旦那の遺作となった「ユトリーバに乾杯」を皆様歌って下さり、あやうく涙がこぼれそうになった。皆様でご霊前にといってたくさんのお菓子や果物を供えて下さり、最後のお別れをしていただいて旦那もきっと嬉しかったと思う。お供えしたお菓子類を、帰りに皆で分けて帰ったのがなんだか可笑しかったけれど、こういうところがユトリーバのいいところ。
素敵なメンバーに囲まれている私を見て(どこでみてたかしらね)、きっと旦那も安心したと思う。
今日もアツコさんが美味しいお味噌汁を作って下さり、皆で堪能した。ちなみにわたしの旦那のために一番たくさん涙を流したのがアツコさん。今日もさめざめと泣いてくださった。
腕の痛みはまだ続いているけれど、気のせいか、ちょっぴり緩和されたような気がする。
それにつけても、こんな痛い思いを旦那がしないで済んで、本当によかったと思う。その分私が痛い思いをするのは神の配剤だと思えば我慢が出来るというもの。整骨院の先生は、私と話していると、どこが痛いの?と聞きたくなるような元気な声だ、とおっしゃる。これで私はだいぶ損をしているノダ。
8日(木)鳴り物入りの台風18号は思ったほどの被害を残さずに北に去って行った。
今日みたいな日は整骨院も流石に空いていて、9時少し前に行ったら2番目だった。
それでもビル風で飛ばされそうになる。考えてみたら、こんな日に行くのは症状に軽い人だけかもしれない。
昨夜12時になっても山形から息子が帰ってきた形跡がなく、だんだんと激しくなる風雨に気が気でなく、12時半頃に車の音がしてやっと安心して寝たので、なんだか寝不足気味。
朝新聞を取りに出たら、隣の息子の車がもうなかった。働き盛りは気がもめること。
夕方、帰ってきた息子が、ススキをたくさん呉れた。毎年の私の楽しみで、これが来年まで楽しめる。
今日茅ヶ崎のともさんからおいしいお菓子が送られてきたので、夜になってお礼の電話で長話。思いだして鎌倉のカズコさんに刺繍展に行かれなかったお詫びの電話。今夜は湘南方面との友好タイム。
9日(金)やっと秋らしく空が高くなった。午後から高校時代のお友達のサチコさんとツルコが旦那のお別れにきてくださり、しんみりとしていたのは5分間で、いつもどおりの賑やかなミーティングとなる。
皆それぞれに何らかの悩みやらストレスやらを抱えながら、会えば昔通りなのが嬉しい。
今日は腕の痛みがすこし和らいで、私もご機嫌。
10日(土)昔からの諺に「苦髪楽爪」という言葉があるけれど、最近になってこのところ髪の伸びが速いことに気がついた。
そういえば爪を切ったのはずいぶん前のことで、旦那が逝ってから切っていないような気がする。
今日は3週間ぶりに美容院に行って、髪を思い切りカットしてきた。
速いもので明日七七忌の納骨となって、今更のようにこの1年5か月のことを振り返っている。
明日お墓でお別れしてしまったら、今までと全く違う私の第3の生活の始まりとなるけれど、首を垂れている暇はない。
前向き前向き、と自分に言い聞かせているけど、傷めた頸椎はともすると首を前にうなだれさせてしまう。
でも、2週間毎日通った整骨院の治療の効果が、少し現れてきたみたい。
夜になって昨日来て下さったサチコさんから電話。高校時代のお友達4人の、22日に銀座でのお食事会のお誘いだった。
勿論行く約束をする。それまでには何としても治さなければ。
11日(日)久しぶりに秋の空が晴れやかな表情を漲らせている。朝8時半に出発。小平霊園に納骨に行く。
3連休の真ん中なのでさぞや混雑しているだろうと思ったのに、思いのほか空いていて、10時過ぎに到着。
考え出したら心が迷ってしまうので、今日は何も考えないことにした。
それより普段疎遠にしている旦那の身内の姉や、子供たちの従兄妹と久し振りで会って話が弾んだことが、旦那の配慮によるものと思われてそれが嬉しかった。もっと嬉しかったのは、墓地に植えた金木犀が、満開だったこと。
毎年の春秋のお彼岸にお墓参りに行った時に、二人で伸びた枝を切って手入れを続けてきたのに、花が咲いている時に行き会ったのは初めてのことで、それが旦那を両手を拡げて迎えてくれたような気がした。
発病以来今日の納骨までのことを考えると、何もかにもがうまくいったようで、なんて後生のいい人!と思う。
家に帰ったらもうお骨がないのが少し淋しく思われたけれど、お骨は旦那ではない。霊がどこに行ってしまったのか、知るべくもないけれど、確実に家の中に存在すると思うことにした。
今回子供たちの精神的な成長を再確認できたことが、私にとっての大きな喜び。
今日は坂の下で女神祭りが開かれていて、夜2階にあがったら、賑やかな音楽が聞こえてきた。明日はもっといい日になるだろう。
12日(月)今日は体育の日だそうで、朝からテレビは老若男女の体力作りに協力を惜しまない。
この間の台風の日に、植木の消毒剤がこぼれたらしく、何日も臭気が漂っていて、とても嫌。
納骨が終わってひと区切りついたので、今朝は頑張って片づける。ついでに荒れ放題になった庭の草を少々むしったけれど、見回したら際限なく伸びていて、見ただけで嫌になり、まあ、ぼちぼちいきまひょか、と心の中で呟いて終わりにした。
今日のデイホームは皆様お元気。大きな声が揃って聞こえて、こちらも張り合いがある。
13日(火)昨日思い物を持って雑踏のなかを歩いたのが祟ってか、また腕の痛みがぶり返してきた。
今日は何も用事がないので、朝治療して帰ってからは、ずっと寝椅子でだらけて過ごした。まだまだ油断は禁物といったところ。
夕方近くなって、葬儀屋さんが最後の片付けに来てくれて、仏間にしていた旦那の部屋ががらんとしてしまい。なんだか心にぽっかりと穴が空いてしまったような変な気持ち。
思い出したように旦那の写真をリビングルームに飾ったので、すぐに目があってしまう。
でもそばに居るようで悪くない。
14日(水)今日は腕がしびれる日。整骨院の先生にいわせると、本当に悪い時は痛みが激しいけれど、しびれるというのは、少し回復の兆しなんだそうだ。でもこれもあまり気分のいいことではない。
帰りに八百屋さんが開いたので、バナナ3本と柿3個を買ったら、重くて後悔した。帰ってすぐにお風呂に入ったけれど、お風呂に入ると、それを待っていたように電話やらインターホンやらが鳴る。
久しぶりに洗濯をして乾したら、夕方から雨の予報で、なにやら不穏な雲が漂っている。
雨は夜を待たずに落ちてきた。今日は久しぶりに御馳走を作る…といったって、栗ごはんと煮物だけ。
たった2合のお米で、食べきれないほど出来てしまったので、こんなとき周りに子供たちがいるのはありがたい。
15日(木)今日は旦那のほんとうの四十九日目。もうお閻魔様の許可証を頂いて、天国への階段をのぼりはじめたに違いない。写真に向かって、転ばないでよ、とつぶやく。末期になってよく転んだんだから。
ふと見回せば、そこここに秋の気配が厚く漂っている。踏切があくのを待ちながら線路際のきりん草を眺めていたら、カーブをゆるやかに走ってきた電車と花が一幅の絵になっている。夏の暑い盛りは、電車も必死という感じで走っているように思えたものだけれど、今はゆったりと余裕さえ感じられるのは、私の気持ちにゆとりが出てきたからかしら?
昨夜かすかな片頭痛を感じて、念のため寝る前に痛みどめを飲んだのが効いたのか、今朝は腕の痛みも和らいだ。
整骨院の受付のお嬢さんは、今朝は肌寒いですね、というけれど、一生懸命に歩いた私は、汗びっしょり。
でも反論するのはやめて、そうみたいね、と言っておく。
先生に言わせると、頚骨の動きがだいぶ柔らかくなってきたということなので、間もなく良くなると信じることにした。
パンの焼けるにおいに誘われて、隣のパン屋さんにはいったら、棚に陶器のフクロウがいっぱい飾ってあるのに気がついた。
聞いたらご主人の作品とか。中に電球を入れて照らすというので、ほしくなって、譲っていただけないかしら?と聞いたら、私が気に入ったものは、いちばん可愛がっているものだから、譲れないという。そうなると欲しくなるのが人情というもの。
どれなら譲ってもいいか聞いておいて、と娘さんに頼んで帰ってきたけれど、ちらちらと真ん丸な可愛いフクロウの姿が思い出されて落ち着かないこと。
16日(金)あたり一面に秋の気配が満ちて、やっと空も落ち着いてきたようだ。
例によって朝一番で整骨院に行く。これが終わらないと、一日が始まらないような気分になってきた。
通い始めて3週間目だけれど、行く時間が決まっているので、だんだんと様子がわかってきた。
金曜日はどうやら老女番長がいるらしい。どうってことはないのだけれど、来る人ごとに話しかけて、うるさいったらありゃしない。
そして来る人が皆口は元気なので、いったいどこが悪いんだろうと思ってしまう。
でも歩くとよたよたなので、口が達者なのが唯一の頼りどころなのかもしれない。そう思ったらちょっとかわいそうな気になった。でも私だって目下、人のことなんて言ってられない場合なのだ。
昨日からおせんべいが食べたくて欲求不満気味だったので、ATMで地代のお金をおろしてから、そばのコンビニで小さな袋を買った。私の脳内回路はまだ大人数だったころの思考から脱皮出来ていず、なにを作っても残ってしまう。
この小さなおせんべいの袋を、なんとしても1週間はもたせよう。そして、明日からは1回に炊くご飯は1合にする。
ちなみに、今日は秋刀魚が食べたいけれど、昨日の残り物を片づけるのが先決。やれんなあ。
17日(土)お天気が続かない。今日はどんよりとしていたけれど、夕方には降りだした。でも私は朝新聞を取っただけで、あとは一歩も外に出ず、一日中のんべんだらりと過ごしていたので、降ったことすら気付かないありさま。だらけるにも程があると我ながら嘆かわしい。
昨夜遅くに旦那の一番上の姉の訃報がはいった。義姉も癌を患っていて、14日に亡くなったそうで、姉弟が手を取り合うように逝ってしまった。
まず思ったことがあとに残されたもう一人の姉のこと。
たった2か月の間に姉弟が逝ってしまって、どんなにか嘆いていることだろうと、つくづく可哀そう。
我が家もそうだったけれど、今亡くなる人が多くて、葬儀までに日にちがかかる。来週の火曜日が告別式と聞いたので、なにがなんでも11時までに川越の教会に行かなければならない。
うちの葬儀のあと、3回目の遠出で、その3回共が、横浜、鎌倉、川越とみんな告別式のためだった。
夕方6時にお隣の奥さまから電話で、これからお悔やみに、とおっしゃる。
お知らせしないまま50日も経ってすこしばかり気になっていたので、どうぞというと、すぐにお見えになったけれど、こちらは晩ご飯をまさに食べようと思っていたところで、あわてて片付ける。
お玄関で、とおっしゃったけれど、そうもいかず、結局お帰りになったのが9時!
皆様ひとり所帯は気楽らしい。まあ、こちらもどうでもいい時間を過ごしているので、お話が弾んでしまった。
両親の代の頃、このあたりは「長寿村」と言われていたけれど、どうやら「未亡人村」になりつつある。
あらためて数えてみたら、向う3軒両隣に、8軒の奥さま一人の家がある。でもこれも考えてみたら、どのお宅も隣り合わせ又は上下にお子さんの家を構えていて、この辺のご主人は皆様偉かったなあ。
深夜11時半に、最終便で大阪の出張から帰ってきた息子が、赤福と生八つ橋をお土産に持ってきた。
八つ橋は旦那にお供えしていったけれど、食べるのはワ・タ・シ。
嬉しいような……。まつたけの佃煮なんて思いつかないのかしらね。
18日(日)見事に晴れ渡った日曜日だけれど、夕べからお腹の具合が良くなく、まったく食欲がない。
起きるのも面倒で、ベッドでごろごろしていたけれど、9時になって、宅急便が届くんだとはっと思いだして、慌てて下に降りて雨戸を開き、顔を洗ったところで、ピンポ〜〜ン。
思い出さなかったらパジャマ姿をさらすところだった。
朝ごはんは抜きで、テレビはつけっぱなし。お昼になって昨日息子が持ってきた赤福を3切れ食べる。
もうそれでお腹がいっぱいになった。
今日はこれ以上何も食べないことにしようと固い決意。何故って明日はデイホームに行く日、明後日は義姉の告別式、そして木曜日は銀座でのお食事会に久々で出かけるのだから。
無益な一日だったなあ。
夜になって思いついて鵠沼の3番目の義姉に電話をかける。続けて姉弟との別れがあったので、どんなにか落ち込んでいるかと思ったけれど、淡々としていた。歳をとって、感受性が薄らいで長生きするのも、こういう時はいいなあ、と思う。


19日(月)整骨院に行ったら、第5頸椎がまた硬くなっているという。
道理で首が痛いわけだ。でも徐々に良くなっているらしく、歩いた時の絞るような腕の痛みが消えて、只々じんじんとしびれている。しびれるのは治る前兆なんだそうだ。
お昼を済ませてデイホームに行ったら、布草履を編んでいる方があった。
そういえばこれは私が火つけ人。もう3年も前にすこし手をつけたものだったので、やり方などちょっとアドバイスをした。帰り路に踏み切りの近くまで来たら、どこからか呼ばれた気がして振り返ったら、ヒラノさんがゼ〜ゼ〜と息を切らしながら追いかけてきて、来週30分早く来て、という。布草履のやりかたを教えてほしいから、という。
なによ、電話くれればいいのに、と言ったけれど、顔を見たらば断れないのが私の性分。
敵の作戦にはまって、来週は1時間早く行く約束をしてしまった。それにしても思い出せるかな?とちょっと心配。
肉じゃがを作ろうと思い立って、先にノリコのところに半分引き取ってもらう交渉をする。じゃがいも3個も作ったら5日は食べる羽目になりそうなので。今日のは上出来で、思った以上に食べてしまったけれど……。
今日やっと、入院中お世話になったY先生にお礼の手紙を投函。気になっていたのでほっとした。
20日(火)朝9時に家を出て、11時の告別式に出席のため川越まで行く。遠いなあ。
だいたい池袋というところに降りたことがない。まごまごしながら、久しぶりに通勤時の電車に乗ったので、少し良くなっていた腕がまた痛くなった。告別式はカソリック教会で、普段全くご縁がないので、今日は初体験ばっかり。
旦那の長姉は5人の子供がいて、うちの子供たちとは従兄妹になる人がいっぱいいるけれど、ふだん全く疎遠で、見まわしてもこの間我が家の葬儀に来てくれた長男、長女のほかは、誰が誰やらまったく見当がつかなかった。
夕方指定した荷物が届くので、その前になんとしても整骨院に行きたい。
すこし申し訳ないと思いながら、出棺を待たずに献花を済ませて、東上線の急行に飛び乗った。
電車に揺られながら、もうこの姉の家ともこれでもっと疎遠になるだろうな、と考えたけれど、この家とは、舅姑の代から目に見えない確執があって、仕方のないこと。
以前、従兄妹同士が仲良く付き合えるのは、親の代に基礎ができていないと無理、と息子に言われたことがあったけれど、まったくそのとおりだと思った。
なんだかどっと疲れの出た一日。
21日(水)この間の台風の折にこぼれてしまった、植木の消毒剤のにおいが、いつまでも漂っていて、とてもいや。
植木鉢に水をやったついでに、散らばっている枯れ葉を箒で掃き、ちょっとビンを触ったら、体に匂いが移ってしまった。
白菜を茹でて絞ろうと冷ましていた間のことだったので、仕事が中断してしまった。
この消毒剤は強烈で、枯れかかって茶色くなったツツジを見事蘇生させてくれたので、粗末には扱えない。
シャワーを浴びてシャンプーをしようと思っていたら、ラッキーなことに、ノリコが夜お風呂屋さんに行こうと誘いに来てくれたので、大喜びでこの話に乗る。白菜はビシャビシャのまま、すだちを絞ってお醤油をかけて、それなりに美味しかった。
出張先から息子が電話をかけてきて、やっと都合がついたから、訪問診療の病院にお礼にいく、という。
電話で都合を問い合わせたら、何度も声を聞いていた事務のお嬢さんが懐かしそうに応対してくださり、こちらも懐かしかった。
来週の火曜日にアポを取りつけた。すこしずつ、すこしずつ、やるべきことが進行している。
今日私の好きだった女優さんの南田洋子さんの訃報をテレビで知った。静かに、しずかに、1人去り、2人去りというこの頃。
22日(木)朝一番で整骨院に行って、いよいよ戦闘開始という感じで、私の楽しみの時間が始まる。
11時半に渋谷で終結、娘時代の友達4人で銀座にお昼を食べに行く。
旦那の介護中に憂さ晴らしに買った、秋のワンピースの出初式でもある。
4人のうちの3人は一人暮らし。みんな優雅なシングル生活だけれど、締めるところはしっかりと締め、渋谷から新橋までシルバーパスの都バスで行くという。シングルビギナーの私は、大いに学ぶところがあった。
久し振りで出た銀座は観光バスがあちこちに停まり、中国の観光団が溢れていた。
ヤマハの越した後に出来たスワロフスキーのお店の9階の、ゴウジャスなレストランは最高のお味。
締めるところは締め、使うところには思い切り使うという、皆要領のいい生き方。大いに学ばねば。
また新橋から渋谷にバスで帰るという3人と別れて、久しぶりに銀座通りを一人で散歩。
歌舞伎座の前まで歩いて都営浅草線の地下鉄で帰る。家に着いたらどっと疲れが出て、着替えもしないでそのまま1時間寝てしまった。でも楽しい一日だったなあ。
23日(金)昨日歩きすぎて膝が痛み、今日はがっつりと休養の必要がある。
それでもすこしづつ部屋の中を整理し始めて、これが楽しみの時間を生みだしてもいる。
庭の鉢で怪しくなったものを家の中にいれ、当分可愛がることにした。この2、3日お天気続きで、気がつくと水が枯れているので油断がならない。小菊の蕾もだいぶ膨らんで、間もなくの開花が楽しみ。
今日は2回水撒きをした。今一番の悩みは、食糧がだぶついていること。
このところの暖かさで、頂いた生もののお菓子が怪しい雰囲気になっているものもある。
冷凍庫の中が満杯状態!娘に分けてあげようと思うと、すげなく断ってくるんだものね。
親が糖尿病になったら困るぞ。と言いながら、昨日は三越のデパ地下で、限定販売と叫んでいたパンを買ってきてしまった。
反省!
24日(土)お天気が芳しくないので、今日は腕と膝が痛む。整骨院に行ったらもっと痛くなった。
でもそんなことでめげてはいられないので、普段通りのスケジュールをノソノソとこなす。
午前中T・Fさんから電話がはいって、11月の第2火曜日に、私たちの「音和会」が以前小さなコンサートをやっていたスタジオで遊ぼうと思ってるから参加して、と言ってきた。聞いてみたら、どうやら彼女のピアノを聴く会らしい。
これはしんどいお話。でも嘘をついて断るのは気がとがめるので、カレンダーを見て、その日をユトリーバの例会にすることにした。…私って悪い女。
夕方キョウコさんが、我が家の近くのマーケットで鮭と梅干しを買いたいからと来訪。
彼女のお宅はうちより都心に近いけれど、まわりにお店が何にもないところ。
お互い散弾銃のように話をまき散らして、「あらあら、大変!6時になっちゃった」と、またまた鉄砲玉のように飛んで消えた。
私はそれから大急ぎで姪のマキチャンのところに遊びに行く。お誕生会なんだそうだけれど、私はすっかり忘れていてプレゼントもなにも持っていかず、ご馳走だけが目的。
7歳から78歳までの賑々しい会で、楽しかった。
溝の口の駅を降りたら、明日が川崎市長選で、民主党の前原さんと菅さんが応援に駆けつけていて、黒山の人。
25日(日)午前中からうらうらと居眠り。気持いいわあ。
午後になって玉川高島屋にノリコをお供に買い出しに行く。
あさってお世話になった先生の所にやっとのことでご挨拶に行くので、そのための買い物。
帰りに寄った地下の食料品売り場はごった返していて、出来たごはんを買っていく人たちが多い。皆手抜きなのは日曜日だから?
今夜は寒いので鍋料理にするからと、息子を誘っていたのに、私も負けずにお弁当を買い込んで手抜き。
夜、N響でモーツアルトのPコンをやっていた。この曲は旦那がずっと枕元で流していた曲。今は聞きたくないけれど、20代の威勢のいいピアニストに引きずられて、最後まで聴いてしまった。
この人の20年後にもう一度同じ曲を聴いてみたい。
きっともっとしっとりとした感性で聴かせてくれるだろうな。
余談ながらオケの定期会員ってどうして皆はいるのかしら。私だったら毎月定期的にコンサートに行って、聴きたくない音楽も聴かなければならないのは嫌だけれどな。
私は食べ物にあまり好き嫌いはないけれど、音楽の好き嫌いはかなり激しい。
夜寝る前にメールチェックをしたら、ネパールのケントスクールのカマラさんからメールが入っていた。
行間に来てほしいという気持ちが、ちらちらとみえる。

26日(月)今日はデイホームに早くにいく約束をしていたのを、危うく忘れるところだった。
整骨院から帰って、のんびりとテレビで時代劇を見ていて、はっと思いだし、早めのお昼を食べて出かけていく。今日は余分な布草履講習会だけれど、肝心の私が、作り方を忘れている部分があって、話にならない。
帰って夕べから気になっている電話を、ネパールのケントスクールに掛けたけれど、何度かけても配線が満杯で繋がらないと交換台が言ってくる。
もっとも全部判ったわけではないけれど、訛りの強い英語がそのようなことを言って、あとはネパール語の早口が、何やらテープで叫んでいる。この3年ほど、英会話もネパール語もご無沙汰で、こういう場合は後に残らない電話が一番なのだけれど、仕方がなくメールを書き始めた。こういう時、必要不可欠のチェックマンの旦那がいなくなって、不自由極まりない。書いたものを読み直してみるとどうやら赤点レベル。
そうそう、こんな時便利なひま人がいたっけ、と兄にファックスで原稿を送りつけたら、30分後に翻訳して送ってきてくれてホッ!
時間も出来たことだし、もう一回勉強しようかな?
今日はまたまた台風の雨で寒い一日。
27日(火)今日は娘の誕生日なので、なにかプレゼントをしたいと考えたけれど、何も要らないという。
「それよりこれからのためにお金を溜めておきなさい」、と、言うセリフが逆転している。
それは私がいいたいこと。
今日やっとのことで、お世話になった成城内科にご挨拶に行くことになった。
6時半に伺うことを決めたけれど、一緒に行くからと今日まで延ばしていたのに、息子が5時になっても帰ってこない。
やきもきと玄関を出たり入ったりしていたら、5時半になってやっとのことで帰ってきた。
群馬まで出張だったと聞けば、文句も言えなくなる。渋谷からバスですら30分の距離を1時間以上かかったと、へとへと顔で帰ってきて、そのまま世田谷の端から端へと走る。
成城内科では、皆様が懐かしそうに出迎えて下さり、私のことを案じていてくださったといわれて、葬儀以来初めてジンときた。帰りには紹介してくださった足立医院にもお礼に伺って、やっと肩の荷が少し軽くなった気分。
それにしても世田谷は迷路だらけ。ちょっと横道を通ろうとすると、時間のはざまに落ち込んだよう。
環七に抜け出し、すいすいと走り出してひと心地がついた。
昔住んでいた下馬の近くのファミレスで、 ゆっくりと晩ごはんを食べて帰った。
28日(水)早いもので今日がふた月めの命日。つい昨日のように思われるあの暑い夏の夜が目に浮かぶ。
その間私はいったい何をしていたのかしら?
昨夜はなぜか寝つきが悪く、やっと12時半に寝たのに、2時半にぱっちりと目が覚めてしまった。
仕方がないので、旦那の置き土産の誘眠剤を飲んで、今度は朝まで寝られた。
夢の中で、掛けた覚えのない目覚まし時計が鳴りやまず、やっとのことでそれが電話の音だと気づく。時間は7時半。
ヤスコさんから「今日湯河原に行くけど…」というお誘いだった。
この一言でぱっちりと目が覚める。もちろんご夫妻のお邪魔虫になって、温泉に漬かりに行くことに決定。
29日(木)午後4時に、ヤスコさんご夫妻が車でお迎えに来て下さる。
考えたら一泊の旅に出たのは、今年の大河ドラマの舞台に決定した、直江兼継のルーツを訪ねる去年の3月のニ金会の旅行以来1年7か月振りだった。
ヤスコさんご夫妻のご厚意に甘えての遠出で、今まで沈澱していたもろもろの灰汁をきれいさっぱりと洗い流すことができて、お二人に心から感謝しながら、もう1泊と勧めてくださったのを振り切って、一足先に帰った。
途中茅ヶ崎でトモさんの所にお寄りしたかったけれど、次回の楽しみに取っておいて、整骨院のほうをとることにする。
なんだかほかほかと温かい一日だったのは、温泉のお蔭ばかりではなさそう。お友達ってすばらしい。
30日(金)お昼に旦那のお友達のHさんの奥様からお電話を頂く。夫が一番信頼していた方で、病室のベッドで、自分が死んだら彼だけには知らせて、と言っていたのに、思いがけず先に亡くなってしまって、その時の悲嘆ぶりが思い出される。
旦那が死んだのをつい昨日お知りになったとか。実はお知らせすべきか否か散々迷ったことだったので、とても嬉しかった。
旦那がずっと奥様のことを気にかけて、「ユトリーバにお誘いしたら?」と言っていたことをお伝えしたら、来月から参加したいとの嬉しいお返事を頂いた。
夜になって昨日お香典を送ってくださった義姉のお姉さまのヨウコさんにお礼の電話。
今回の不幸は、私にとって、新たな友好の輪が広がるという嬉しい収穫もあったのだ。
31日(土)朝整骨院に行くという新しい行動範囲の広がりのお蔭で、いままで気がつかなかった町の顔をたくさん発見している。
旦那の療養中は、同じような時間帯に出ることがあっても、外来の番号を取りに行ったり、入院中の病室に新聞を届けたり、と目的まっしぐらだった。それが、膝と腕が痛いためにゆったりと歩くようになって、元気な町の朝の顔が見えてきた。
昼間はあまり姿を見ない駅前の花屋の奥さんが、毎朝一つ一つの花をいとおしむように手入れをしながら店頭に並べている。
顔を知っている病院の看護師さんが、時間いっぱい、といった感じで、足早に病院の裏口に突進していく。
交番のお巡りさんも午後の退屈そうな表情と違って、なんだか緊張してみえる。
それに何よりも、人の往来が激しくて、皆踏切が閉まる前になんとかして向こう側に渡ろうと、足早に私を追い越していく。カラフルな町の情景のなか、整骨院の隣のパン屋さんのパンの焼けるいい匂いが、あたりに幸せ感を振りまいてゆく。
この辺りは終日のんびりと、どこか活気のない町だと思っていたのに、朝は皆とても活気があるんだわ。
家の前の電柱で名前を知らない鳥がひとり、「いいよ、いいよ」と呟いている。
〜そうよね、これでいいんだわ〜。
